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聖パンタレオン殉教者    St. Pantaleon M.              記念日 7月 27日


 聖会の初代300年にわたるローマ諸皇帝の迫害中、最も残酷酷烈を極めたのは、恐らくディオクレチアノ及びマクシミアノ両皇帝が共に天下を治めていた頃のそれであったろう。その迫害はまず小アジアなるディオクレチアノの首都ニコメディアに勃発したが、その際当局のやり玉に上った初殉教者の中に、本日記念する聖パンタレオンも加わっていたのである。
 彼の生涯の歴史的記録としては、殉教録の記事以外に何一つ残っていない。それも当時の弾圧の結果か、ほんの要点だけをとどめた簡単なものに過ぎない。しかしそれに依れば、彼の父はオイストルジオという高官の異教者、母はキリスト信者でこの母の敬虔な祈祷と立派な行為は、司祭ヘルモラオの指導と共に、後に青年パンタレオンが信仰を見いだして洗礼を受ける上にあずかって大いに力あるのであった。
 彼は医術を業とし、その方ではかねてから令名があったが、受洗後ただ天主を信頼して祈るだけで、一人の盲人をたちどころに癒した。この明らかな奇跡を見ては不信の父も驚嘆の心を禁じ得ず、ヘルモラオ司祭について教理を学び、ついに熱心な信者となるに至った。
 そればかりではない、ディオクレチアノ皇帝の許へ統治上の相談に来たマクシミアノ皇帝は、右の奇蹟を聞いてパンタレオンを自分の侍医に召し抱えた。けれどもかような栄職についても、思い上がって救霊を忘れるようなパンタレオンではない。相も変わらず熱心に信仰の務めを守っていたのである。
 その中にキリスト信者探索の手はいよいよ厳しくなり、パンタレオンも皇帝の御前に召され、棄教を迫られた。皇帝は彼の従前の功労を少しも顧みず「キリスト教を棄てよ、さらばその方はなお朕の厚き信任を得て、栄達は思いのままであろう。これに反しあくまでその信仰を守り通すつもりならば、生命はないものと覚悟するがよい」と甘言及び威嚇を以てその心を動かそうと努めた。しかしパンタレオンは既に洗礼の時誓った通り悪魔とその栄華とを棄てた者である。命を惜しみ不義の栄耀を望んで天主を離れる筈がない。言下に信仰を擲つ事は絶対に出来ぬと答えたから、皇帝は烈火の如く憤り刑吏に命じて彼をオリーブの木に縛り付け、その手を頭に釘付け、さまざまの恐ろしい責め苦にあわせた末、その首を斬り落とさせた。
 かようにして名医パンタレオンは迫害の嵐に華と散った。けれどもその壮烈な犠牲の死は彼を牢獄の如きこの世から永遠の故郷に導く解放に他ならなかった。彼が間違いなく天国に入ったことは、その殉教後さまざまの奇蹟が起こった所からも知られる。
 彼はその生前の職業より今も医術に携わる人々から保護の聖人と仰がれている。また先に記した如く、頭に釘を打つ拷問にも屈しなかった所から、脳病頭痛に悩む人々の代祷者に選ばれることもしばしばある。

教訓

 我等が聖パンタレオンに学ぶべきはその忠実と堅忍不抜の精神である。我等も彼の如くいかにこの世の栄耀栄華を種に誘惑されても、正しい道、天国への一筋道から一歩も離れてはならない。